人気ブログランキング | 話題のタグを見る

一日一ケロ

バズるけど、バズらない、でもやっぱりバズる

さあさあ、自分もフィギュアは男女共にばっちりナマで見たクチなのだから、やっぱりいろいろ言及、今風に言えばバズりたくなるわけで、さまざま思うことはあるけれど、一つ痛感することは、パフォーマンスそれ自体を見ること、これが唯一にして最も重要なことで、それ以外のことは、全て無意味、とまでは言わないけど、幹に対しての、枝葉、でしかないんだな、ということ。

彼女が最後のポーズを決めて、そのままの角度で天を仰ぎながら、それでも涙をこらえて、笑顔で観客に挨拶。三回転半から始まった4分間。流した千金の涙。これだけを、何度だって、見ればいい。他の、誰が感動してtweetしたとか、誰々が失言したとか、そういうのは、あってもいいけど、別にいらないんだ。そんな二次派生物を消費しなくていいし、憤ったり、共感したり、そういうのも余計。自分が、直(ちょく)に、最高の、ナマの、オリジナルなものを見ることができるのに、何か別のもので、わざわざ薄める必要はない。

生の、ライブの、今一時の、アスリートの姿、パフォーマンスを見られる。彼ら、彼女らにとって二度と戻らない時を、共有できる。束の間だけ、彼らが積み上げてきたものや、想いの発露の、お相伴(おしょうばん)に預かれる。それがスポーツ観戦の醍醐味の一つ。でもあくまで僕らはお相伴に預かっている身なんだ、という謙虚さが必要。本人以外が言うことは、全て知ったかぶりにしかなり得ないのだから。

芸術でも、景色でも、料理でも、人生の一場面でも、言葉を尽くす必要もないし、どんな言葉でも表せないものがある。ただただ、素晴らしい、と、その一言だけで済むし、済ませなきゃいけないものがある。評論も後日談もサイドストーリーも、あったって別にいいけど、なくていい。こねくりまわさなくていいし、何も足さなくていい。枝葉もいらない。全てのバズの、おおもと、原典だけに触れればいい。これ肝要。

*****

そうはいってもちょっとバズっておくと、

・佐藤コーチ→名伯楽なのはわかるし、浅田のスーパーパフォーマンスでむしろ美談を担う側になりおおせたが、「なぜ本番で力を出せなかったかわからない」というんじゃダメだろう。ジーコじゃん。浅田やキムヨナのように地力が群を抜いている場合には、そこがどう考えても肝になるんだから、米国流の科学的アプローチとか、やるべきことは一杯あったでしょうに。宮里藍ちゃんに教えを乞うとかさ。そこまでやった上での、「わからない」、というのならわかるけれども。

・「日本人は本番に弱い」的な、過度な一般化、したり顔のコメントには本当にうんざりする。スポーツが大きくフィーチャーされるたびに日本人論、若者論、女性論をしたがる人がいるが、全部間違っているし、無意味極まりない。

・ヨナは天晴れ。それ以外にない。外野が何を言おうと、裏で何があろうと、リンクの上ではたった一人で、自分のできる最高のパフォーマンスを、いわば神に捧げる以外にないわけで、彼女はそれをやり遂げた。ケチのつけようがない。彼女自身が語ったように、浅田のことが自分にはわかる、と言える、たった一人の人間かもしれないし、浅田の涙を見て自分もこみ上げるものがあった、という言葉は、あながち嘘ではないと思う。

・では金がヨナであるべきだったかというと、ヨナにも十分資格があったが、そうでないという結果にも、全く納得できる。もともと不透明な部分があって、そこでヨナは勝ってきた(不当に勝ったという意味ではない)が、今回はそこで負けた。ショーでもあり技の競い合いでもあるという、フィギュアの本質に由来するものだから、仕方ない。ホームなんだし、会場盛り上がってたし、順当な結果だろう。

・という意見もたくさんあると思うのに、なぜか見た人全員が疑問、みたいな書き方をするNY Timesの、海外の事象に対する報道は相変わらずレベルが低い。そして今回の五輪で思ったことは、欧米って本当にロシアが嫌いなんだな、ということ。白人系国家では本当に唯一の異端で、不気味で怖いんだろうな。

・本稿の主張に照らせば、浅田のパフォーマンス直後のNHKの報道ぶり、特に杉浦アナはさすがだった。彼女自身が涙ぐんでいながらも、そこに民放アナにありがちな余計な自意識のようなものは全く感じられず、むしろ報じるために感情を抑えようと必死で、言葉は尽くさなかったので。
by starryeyes | 2014-02-22 19:08 | 感傷